
2018年11月18日深夜。僕は救急車で運ばれて緊急入院した。
搬送された病院で、病名を聞かされた時、僕は思った。
「ああそうなんだ・・・ついにこの時が来たんだ」と。
救急車で搬送された前日、僕は仕事で外出していた。この日は朝からおなかの調子が悪く、ぐるぐるきゅるきゅるとおなかが鳴っていた。特に痛みがあるわけではないんですが、とにかく大きな音が鳴る・・・それがとにかく恥ずかしかった。
仕事から戻るころ、若干の腹痛が襲ってきた。おなかでも壊したのかな?
今まで特別おなかが弱いわけでもなかったので、たまに腹痛になっても一晩眠れば治っていった。
なので今回も眠れば治るだろうって思っていたんですね。
翌日の朝には「ファンフェス基調講演」がある!これをずっと楽しみにしていたので万全な体制でその時を迎えたかったので、その日は早く寝る事にしたんです。

その日の深夜、目が覚めたのですが、腹痛が治まっている様子はなかった・・・・。
単なる腹痛ではないのかな?と思いはしたものの、ううううっ!と唸るほどではなかったので基調講演のまとめ記事を書いた。
内容は心躍るものでテンションも高まってきて腹痛どころではない!という感じだった。
翌朝にはPLLもあるので、きっちり休んでPLLに備えよう・・・そう思ってまとめ終わったと横になった。
・・・・が。
その日の夜、再び腹痛で目が覚める。
痛みも前日とは比べ物にならないくらいにひどくなってきていて汗まで流れてくる始末。
なんとなくこれは危ないんじゃないかと思いもしたけど、もう数時間でPLLが始まる・・・なんとかPLLをまとめてそれから病院にいこう・・・そんな風に思っていた。
・・・・・が。
定期的にやってくる腹痛の感覚が短くなってくる。痛みのある部分に手をやるとそこがすごく硬くなってた。
硬くなっている部分を押さえるとごろごろとおなかが鳴って痛みが和らぐ・・・。
しばらくそれで耐えしのんでみたものの・・・限界がやってきた。午前3時くらい。
僕は我慢できず、自分で救急車を呼んだ。
まだこの時は、今ならまだなんらかの処置をして戻ってくればPLLをまとめられる!そんな風に思ってたりもしたw

病院にかつぎこまれ、なんやかんや処置のようなものをされる。その頃には痛みはさらにひどくなり。
意識も朦朧としてた気がする・・・。
やがて医師がやってきて、僕に「緊急入院する必要がある」と告げる。
まてまてまて・・・それは困る!この後PLLがあるから一旦戻ってそれをまとめてから入院じゃ駄目なんだろうか?
そのままそれを説明しても駄目って言われそうなので、どうしても大事な用事があるからごにょごにょ・・・と話してもまったくとりあってくれない。仕方がないから僕はあきらめて「今日はPLLをまとめられません」とツイートし、入院する事にした。
ツイートしたら気持ちが少し楽になったのか、その後どうも眠ってしまったらしい。
そして翌朝、僕は病名を告げられた。

「大腸癌です。」
がん・・・・。特に驚きは無かった。
我が家の家系は癌の家系で親族が亡くなるときは必ず癌。父も胃癌を患ったし、遅かれ早かれ僕もいつかは癌になる。
そう思って生きてきた。 なので、ああ、ついにこの時が来たか・・・と思っただけだった。
現在、大腸にできた癌が腸を塞いでおり、針金すら通らない程に細くなってるらしい。
無理がたたってとかいうわけでもなく、これは遺伝性のもので5~10年前から少しずつ大きくなってきていたらしい。
3年位前に検診を受けたとき、腸に影があるって言われて再検査して大丈夫ってなったのになあ・・・。
早期発見というわけでもないらしく、ステージは2~3・・・・もしくは4という状況とのこと。
ステージ4だとすれば、他の箇所に転移しているのであれだ・・・超ややこしいことになる。

今まではこういう場合、人工肛門というのを設けて、腸を綺麗にしてから緊急手術というのが定番だったらしいが、医学も発達しているようで、腸にメッシュ上のパイプを入れ、患部を強制的に広げる事ができるらしい。
それで腸を一旦綺麗にしてから癌摘出の手術を行うことになった。
すぐさま腸にパイプが入れられた。それにより痛みはほとんど無くなり、食事もとれるようになった。
そして、数日後、京都から父と母がお見舞いにやってきた。
久しぶりに会う、父・・・・。こんな形で再開する事になろうとは・・・申し訳ない。
そこで父が僕に言ってくれた言葉がある。

癌を宣告されたとき、人は2種類の反応をするらしい。
人生に何も無い人は、癌を宣告されると自暴自棄になってしまう。
でも人生に目標や目的がある人は、それが「生きる力」になって癌と戦おうと立ち上がる。
もしお前が、癌と戦おうと思ったのであれば、それはお前に「生きる力」があるという事や。
・・・・なるほど。
その言葉を聞いて僕は奮い立つことができた。
まだまだやる事はいっぱいある。そうですね、こんな所で死んでる暇は無い。

その後、歩くことで腸が活発に動くらしいので暇さえあれば院内を徘徊し、秘薬「ヨシダ」の力も借りて腸を綺麗にする日々が始まった。
準備が整うまでには、時間がある為一旦退院し、残っていた仕事をやっつけたりした。
かなりキツキツのスケジュールだったけど、それがあったから頑張れた。
そしてあるちゃんが立ててくれたFCフォーラム「まいでぃさんが早く元気になるようにメッセージ会場」に、自分が「大腸癌」であること、大きな手術を行うということ、僕は光のお父さんの息子であるから癌に負けるわけは無いというようなこと・・・。
そんな事をみんなに伝えた。
みんな暖かいメッセージをたくさん返してくれて目頭が熱くなった。本当にいつも心配をかけて申し訳ない・・・。

2018年 12月6日再入院。
退院中の通院で胃カメラ、内視鏡検査の結果、「転移は無い」という事がわかった。
念のため、患部に近いリンパも一緒に根こそぎぶっちぎるという方向で行く事に決定。
ひとつひとつ丁寧にわかりやすく説明してくれる良い病院で不安はまったく無かった。
ただ成功率は85パーセント・・・って言われた時、
ふと「【必中】入れとかなくて大丈夫か?」って思ってしまいゲーム脳だなあって思ったw
そして手術当日。
手術はもちろん全身麻酔・・・術後の痛みを和らげるために脊髄にも注射し、背中から麻酔を入れる管を入れられた。
めちゃめちゃ痛かったです。
その後、麻酔が入れられ・・・意識が徐々に薄らいでいく。

あれ?名前を呼ばれてる気がする。あ・・・終わったのか。
医師の人が「無事終わりましたよー」と教えてくれた。
どうやら手術は無事終わったようだ。意識がどんどん戻ってくる。
この時自分でもびっくりしたのですが、意識が戻って一番最初にした行動が、右手人差し指と親指が動くかどうかの確認だった。
動く事が確認できるや否や、看護師さんに今日は何曜日ですか?と聞いた。金曜日ですよと答えてもらい・・・。
そして「良かった・・・明日ブログを更新できる・・・」と安心した・・・。どんだけやねんw
でもその直後に激痛が・・・!! うっそ・・・術後ってこんなに痛いの!?
麻酔きいてるこれっ!?おなかが破れてる感じがするんですけどーっ!?
あ・・・そうかっ!わかった!!
普通痛みを感じたら、おなかに力を入れて踏ん張ってこらえたりするけど・・・おなかですもんれ、きったの・・・ふにゅばれらい・・・。
だからそのままいたい・・・。
というか・・・なんかいろんなところからいろんな管が出てて・・・・身動きが取れない・・・。
麻薬の痛み止めを入れてもらいぼんやりしてくる・・・。
だいじょうぶだろうか・・・これ・・・・ほんとになおるの?
そんな不安はあったけど・・・・癌は取り除かれた。
「極・大腸癌討滅戦」は終わったのだ。

一晩ICUで過ごし、翌朝には通常病棟に戻ってきた。まだ痛みは続いている。
いろいろ管でつながれて入るけど右手は比較的自由なので、スマホでみんなに無事手術が終わったよという報告をする。
みんな口々に良かったと言ってくれた・・・・。それがまたじーんとくる。
昨晩父も無事終わったことを伝えてくれていたようだ。
でも大変なのはここからで、今日から早速歩かなければいけない。
歩くことで腸が動いて回復も早くなる・・・めちゃくちゃ痛いけど早く良くなって帰らなければ。
看護師さんがどうしますか?歩けそうですか?と聞いてきたので歩いてみますと答える。
立ち上がろうにも踏ん張れないのでうまく立てない。
点滴の棒を杖代わりになんとか立ち上がる事ができたけど痛いってもんじゃない。
息を整えながら・・時間をかけて一歩、一歩進んでいく・・・。
早く帰りたい、またみんなと遊びたいし・・・。その一身で頑張って歩いてみた・・・。
病室を出たあたりで・・・なんかもう・・・気づいてしまった。
そうなんだなー・・・・って。

帰りたい。

みんながいる世界に帰りたい。
こんなにも痛いのに、歩こうと思えるのはあそこに帰りたいからなんだなーって。
オンラインゲーム。そこで知り合った人たちがいるから僕は生きていられるんだなあ。
やっぱりそれこそが・・・僕の「生きる力」になってるんだなあ。
そう思うともう・・・この世界を作ってくれた人達や、この世界で知り合ってくれた人達のことを思うともう・・・
ありがたくてありがたくて・・・。
我慢していた何かが決壊したのか、気がついたら声を出して泣いてしまっていて・・・w
一緒にいてくれた看護師さんも大丈夫ですか!?痛みますか!?ってすごくあわてだしてw
僕も泣いてる自分が可笑しくなってきてw 大丈夫ですw歩きますwって、その日は看護師さんがびっくりするくらい歩けた。

それからどんどんと回復して・・・少しずつ歩ける距離も増えてきて。
体の管も少しずつ取れ、痛みも無くなり・・・食べるものも出るものも通常通りに・・・・!
なんか頑張りすぎたのか、金曜日あたりにもう退院しましょうか!って言われたんですが・・・。

え?そんなん困るわ!15日に吉田さんお見舞いに来るし16日まで入院させてくれんと!ってお願いするほどに・・・。
そんなわけで、本日退院とあいなりましたとさ。

一度癌になってしまうと、再発の恐れがある。
なので5年間は通院して再発防止に努めなくてはならない。
むしろその方が病院に行く機会も増えて健康管理に関しては前よりも良い状況になるだろう。
今後陰りがあれば、即治療を開始できるし、何より僕には「生きる力」がある。
なによりも、これだけ僕に「生きる力」を与えてくれたオンラインゲームをもっともっと世間に広めたいという夢がある限り、まだまだこんなところで死ぬわけにはいかないですしね。
まだまだこれからです!無理せず自分のペースでこれからも進んで行こうと思っています。
僕は光のお父さんの息子です。癌なんかに負けはしない。

朝、病院を出たら、すごく寒かった。
入院したときはそうでも無かったのに・・・。もうすっかり冬なのだろう。
そういえば・・・・そろそろエオルゼアにも雪が降り始めるんだな・・・・。
さあ帰ろう、神々に愛された大地に。
一撃確殺入院日記・・・・完。
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