
今日の記事は全て僕の自身の考えであり、
それが必ずしも「正しい答え」ではないと思っています。
ただ、新生FFXIVがスタートして、ギスギスオンラインとネットで言われ始めた頃から色んな文献を調べ考えてきたひとつの結論ではありますので、ふーんって感じでおせんべいでも食べながら読んでいただけたらと思っておりますw
先日書きました記事「よく相談を受ける固定PTのお悩み。」にコメントを頂きました。
その一部分を抜粋してご紹介させていただきます。
ゲームの中では何故か「まったり」「楽しみたい」「マイペース」の人たちが「いい遊び方している」「良い人間」と評価され。
逆に「ガチ勢」「レイド最速狙い」「DPSチェック」の人たちが「悪い人間」かのように評価される傾向があります。
というコメントです。
僕もこれがずっと気になってるんです。
これって僕の周りの人だけの風潮かなと思って、ずっと調べてるんですがどうもそうじゃないっぽいんですよね。
そしてFFXIVだけではなくて、ほぼ全てのオンラインゲームに存在する傾向なんですよね。
この傾向に対する僕の答えは、先日述べたとおり「オンラインゲームにおいて全ての人が楽しむ権利を持っているのだからルールに則った楽しみ方に善・悪はなく、双方認め合うべきだ。」というものなのですが、なぜそういう傾向になるのかをずっと考えてきたんです。
以下、なぜそういう傾向になるのか、僕なりの仮説・考えです。

まず、先日書かせてもらった二種類のタイプに「名前」を付けます。
■ 「クリアまでの過程」← これが楽しみな人。
「結果」よりも「過程」を重んじるタイプの人。
クリアまでの「過程」すなわち、クリアまでの「物語」を楽しみたい。
助け合ったり、励ましあったりしている瞬間という明確な「答え」の無い部分に魅力を感じる・・・
これを「文系プレイヤー」とします。
■「クリア」←これが楽しみな人。
「過程」よりも「結果」を重んじるタイプの人。
いかに最大の効果でクリアできたか、どういうメリットを得たかという「結果」を楽しみたい。
スピードや時間も大切で、無駄な事が嫌。効率的な明確な「答え」に魅力を感じる・・・
これを「理系プレイヤー」とします。
流れや過程を重んじる「文系」と、効率と結果を重んじる「理系」。
多少極端で強引な部分も無くはないですが、この分類が僕の中ではしっくりきました。

この「文系プレイヤー」と「理系プレイヤー」、の分類はどちらも楽しみ方の好みの問題でどちらが正しいというものではない。
それは先日書いたとおりだと思うので どちらが正しいかという論争はゴミ箱に捨てますが、コメントで頂いたようになぜ「文系プレイヤー」が良い人で、「理系プレイヤー」が悪い人という風潮をよく目にしてしまうのか・・・。
その理由を考えた結果・・・僕なりにたどり着いた答えは・・・
皆様の大嫌いな言葉・・・
「アニメや漫画の影響」なのではないか?というものなんですね。
まあアニメ漫画に限らず世の文芸全てにおける影響だと思うんですが、僕ら世代はアニメ・漫画の影響と言ってもいいかと思います。
どういうことか?

例えば 「FFXIV」のアニメを作るぞーっ!!ってなったとします。
そして、よし!主人公は「戦士」と「ナイト」のバディにしよう!となったとします。
そうすると・・・・もはや鉄板な設定が思いつきますよね。
「戦士」・・・・熱血バカ。
「ナイト」・・・・クールな天才。
これなんですよ・・・。
熱血戦士が、敵に襲われている女の子を「見逃せねーだろ!」と助ける。
クールナイトは、「そんな事をして自分の命を危険にさらすなど・・・無意味な・・・。」とクールに決める。
言うなれば、「戦士くん」は文系プレイヤーなので「命」や「友情」という「感情」を優先する。
そして「ナイトくん」は理系プレイヤーなので、「任務達成」等の不動の答え、「結果」を優先する。
でも・・・問題はここからなんです。

もうあれですよね・・・皆さんなら、この続き・・・なんとなく想像できますよね?
ナイトくん 「ちっ!あのバカ!!」
必ず理系プレイヤーが折れて結果的に助けるんですよ。
戦士くん 「たしかにそれもそうだな。任務大事。」
・・・ってならないんですよっ!!絶対文系プレイヤーの言い分が正しいように描かれるんですよっ!!
なぜかっ!?・・・・それは・・・その物語を・・・

「文系の人間が描いてるに他ならないからですよっ!!!」
文系の人間が書いているから、文系が有利っ!!
それが昔から続いてるから、理系の言うことがなんかちょっとおかしいみたいに描かれてしまう!!
そして文系の人が作った作品を生まれたときからずっと見てきた僕達は、それが当然、当たり前!って思うようになってしまったのではないか?
だから大半の人が、文系プレイヤーよりの考えが正しく、理系プレイヤーが冷たいみたいに思うようになったのではないか?
結果より過程、努力や友情を重んじることこそが美徳・・・そんな風に僕達は育ってしまった・・・!!
社会ではそんな事あんまりなく、「結果」が全てだというのにっ!!

僕も文系プレイヤーです。 好きで日記系のブログをやっているくらいですからね。
だから僕のブログでも、「過程」が大事だよと訴えている部分は多い。文系プレイヤーだから。
でもだからと言って「結果」を楽しむ理系プレイヤーが悪いとはまったく思わない。
楽しみ方は人それぞれだと思っています。
僕の書く文章は文系プレイヤーなので文系有利で書いてしまっている部分はあります。
しかし、僕ら文系プレイヤーは自分の思いを世間に発表するのが好きだ。
ブログやSNSやツイッターなんかでの発言も同意を得たいという気持ちが多い。
そういう環境事態が、コメントを頂いた方のいう「ガチ勢」「レイド最速狙い」「DPSチェック」の人たちが「悪い人間」かのように評価される傾向を作り出してしまっているのではないかな?というのが僕の考えです。

では、その環境を変えるにはどうすればいいのか?
その答えは、戦士くんとナイトくんの物語の「最終回」にあると思うんですよね。
理想の最終回、僕達のみたい最終回はどんなのだろう・・・。
今までずっといがみ合って来た戦士くんとナイトくんが真の意味でお互いを認め・・・力を合わせて巨悪を討つ。
そういうストーリーがやっぱり気持ちいいですよね。それ自体文系的な考えかもしれませんが・・・。
ゲームの中では何故か「まったり」「楽しみたい」「マイペース」の人たちが「いい遊び方している」「良い人間」と評価され。
逆に「ガチ勢」「レイド最速狙い」「DPSチェック」の人たちが「悪い人間」かのように評価される傾向があります。
僕達オンラインゲームで遊ぶオンライナーも、二極化する分類を認識し、互いに嫌味を言いあってないで
お互いに認め合ってより良いプレイ環境を作っていく時代がそろそろ来てもいいのかもしれません。
だって、どっちのプレイヤーも同じゲームが好きなわけですからね。
・・・というのが僕の考えでした。
つづく。
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