
先日、遅らばせながら蒼天のイシュガルドメインストーリーをクリア致しました。
今回のメインストーリーの旅は、僕とせとちゃん、めるくん、ぬーさんでPTメンバーを固定し焦ることなくゆっくりじっくりと進めました。最後の戦いは、あんじゅくんたち、あらいずの皆さんと一緒に挑みました。

予習無しの初見8名での挑戦。
スタート前はもうみんな特に語らず、「さあ行くぜ!」みたいなテンションが充満してる。
メインタンクの初撃が当たった瞬間はじける様に飛び出し持ちうる全ての技術を叩き込んで戦い抜き、なんと全員立ったまま1回目の挑戦でクリア。全てのギミックを培ってきた経験で読みとり、対処。すごかった・・・。

今回の旅は本当にたのしかった。
本来RPGというのは1人用ゲームであり、ストーリーを黙々と自分のペースで進めて楽しむ。
でもオンラインゲームはそうではない。
複数の友人と1本のストーリーを共有し共に楽しむことができる。
家で一人、借りてきた映画のDVDを見るのとはちがい、友達とみんなで映画を見るような感覚に近い。
ストーリーの感想を言い合いながら、展開を予想してみたり、ともに落胆してみたり笑って泣いての旅の道。
それが今回のメインストーリーにも非常にマッチしており、より楽しめたのだと思う。

さて、先日のPLLでも今回のバージョンアップで一番こだわったと吉Pも言っていた、蒼天のイシュガルドのメインストーリー。
「おもしろかった!」「感動した!」という声も多く大変好評です。
今回は「なんで今回のストーリーはおもしろいと感じるのか」を分析したいと思います。
様々な理由があるとはおもいますが、僕が考えるに今回のストーリーは

「群」ではなく「個」がメインだからおもしろい。と感じました。
こりゃどういうことか?

まずドラクエ10。
これ、ストーリーがすごくおもしろいと評判です。
僕もドラクエ10のストーリーが大好きです。おもしろい。
なぜ面白いかというと完全に「個」をメインにした構成だからです。
ここで言う「個」は「プレイヤー」であり、「人物」だと思ってください。

次、Gのレコンギスタね。
ストーリーが難解だ、何をしているのかわからないとあまり評判はよくありません。
いろんな勢力が登場し、その勢力同士目的や価値観も違うので本編だけでは全て把握しきれません。
僕もそう思いました。
なぜかというとこちらは、「群」がメインの構成なんですね。
「群」とは何かというと、群れとか集団という意味を持つ。
ここで僕が指す「群」は言うなればオンラインRPGにおける「国々」や「世界」だと思ってください。

オンラインゲームで言う「群」は非常に重要です。
プレイヤーである僕たちがいかに没入できるかを決めるのが、用意された「舞台」、世界観です。
これが深ければ深いほど、現実の世界からの飛躍を感じる事ができオンラインゲームは楽しい。
深いというのは、リアルという事。またリアルとは複雑であれば複雑であるほどリアル感はでるんですよね。

14に限らずファイナルファンタジーシリーズは、そういう部分を結構大切にしている。
複雑な世界情勢の中、主人公たちはその世界の中で戦い生き抜くというのがひとつのテーマのようにも感じる。
エオルゼアで言うならば「リムサ」「ウルダハ」「グリダニア」これが完全に仲良しというわけではなく、どこか腹に一物抱えて流れている。その緊張感の中 人が生きているというのは現実社会の世界情勢のようにリアル感がある。

僕たちは2.0のストーリーでそれを知った。
三国を回り、いろいろな問題を放り投げられ、解決し、ややこしい話をいっぱい聞かされる。
そうすることで、自分が生きる「エオルゼア」の世界がどういう状態であるのかを深く学んだのだ。
ナナモ様と聞くと「かわいいね!」だけじゃなく、不憫さや応援してあげたくなる気持ちを抱くのは、彼女がどういう立場であるかを学んだ世界情勢と照らし合わせて感じているからに他ならないと思う。
つまり、FF14新生エオルゼアでは、そのタイトルどおり「エオルゼアの世界情勢」という「群」がメインだったのではと考える。
2.0の長いストーリーは言うなれば「僕たちが生きる世界の説明」という構成だった。
そりゃ難解で難しいし、説明に時間がかかる。
だが!その難しいターンは2.0で終わった!!

3.0の冒頭シーン。イシュガルドが門を開けるシーン。
何も知らない人がこのシーンを見ても、あー寒そうなところで門が開いてるなーくらいかもしれない。
しかし、エオルゼアの情勢を学んだ僕たちは、その門が開く事が異例であり、歴史的観点から見ても大きな意味を持つシーンだと理解する事ができる。

さらに旧時代を生き抜いたレガシープレイヤーから見たら、「ああ次はあのイシュガルドってとこに行くんだろうなあ」と単純に思った行く末えを、4年近くかけて最悪だった状態から建て直し作り直し、もう一度世界の説明をプレイヤーに行い、最初に抱いた行く末を見事に実現させたという製作サイドの歴史的意味まで感じることができたりねw

そして3.0では「個」がメインになっている構成。
アルフィノには言い知れない身内感を感じてかわいいと思える。
イゼルさんの気持ちもわかってあげられるし、頼もしさも感じる。
エステにゃんにはまだなじめない部分もあるけど、新しい仲間でなんか嬉しい。
4人で旅をする前半のストーリー。ここってすごく「楽しい」と感じませんでしたか?
楽しいと感じるその理由は、2.0を通してしっかりと世界を知り、僕たちが今ここにいる意味が理解できているからだと思う。
薪を集めるシーンに、言い知れない安心感というか、ほっこり感を感じるのは「重たい物を背負って旅をする4人」をしっかりと理解できており、その背中の重たさがリアルにわかるからこそ、日常を送るシーンに特別な思いが生まれるのだと思う。
ギャップ萌えの一種だと考えます。

また、アルフィノ君の成長。
それは少年が大人になるという成長だけではない。
完全に打ちのめされた人が真摯になって物事を受け入れていく人間味の成長。
ここが僕は一番「素敵」に思えました。
この子は、言うなれば倒産したIT企業会社の社長みたいな立場で、信じてた部下に裏切られ、仲間もいなくなりあっという間に没落してしまった人。それでも生きていかなければならないわけで、おごりや高ぶり、プライドも全部捨てて受付譲とやり手営業マンといちから3人でやり直すという生々しい展開ですよw
「俺たちに任せろ!」みたいに昔の悪い癖が出てピシャっとエステにゃんに怒られるシーンは、吉P自ら書いたそうで・・・w
ああ・・・やっぱりとか思いましたねw

このように2.0に比べかなり「個」にスポットが当たっている構成になってる。
ただ「個」にスポットが当たっているわけではない。しっかりとプレイヤーに「群」を理解させたうえで「個」にスポットを当てているのだ。
だから深みのある「個」を感じ、3.0の旅を楽しい物にしているのだと思う。
「群」⇒「個」という構成。

むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。
「むかしむかし」とはどういう時代か。「あるところ」ではどのような政治でどのように人々は生きているのか。
「おじいさん」はどういう人物か。「おばあさん」は何を思って洗濯をするのか。
この世界の「鬼」はなぜ人を襲うのか。「犬」や「猿」はどういう思いで仲間になるのか。
「桃太郎」の世界観である「群」を理解したうえで、「桃太郎」という「個」のストーリーを読むと、かなりおもしろいと思う。
桃太郎の言葉の意味や、桃太郎を待つおじいさんおばあさんの想い。倒される鬼の気持ちも理解できるわけですしねw
「蒼天のイシュガルド」のメインストーリーはそういう構成になっているので、「おもしろい」と思えるのだなと感じました。

先日のPLLで吉Pが回答した「風脈」の緩和についての答え。
それを聞いて再度理解しました。
「苦労があるから、その後におもしろさを感じる。」という考え方を持つ人だな。と。
それってゲームは本来そういうものだったろ?という意味でもあると思うんですよね。
「苦労」に対する「緩和」を求める人が多い中、それをユーザーに訴えていく「クリエイター」なんだなと感じました。
「群」に対する難しいストーリーがあるから、「個」を中心とした物語をおもしろいと感じる。
そしてファイナルファンタジー14は、これから「群」を踏まえた「個」の物語が始まっていくと感じることもできました。
それが僕の、蒼天のイシュガルドメインストーリーに対する感想です。

父もこのように申しておりました。
これからのメインストーリーがどうなるのかすごく楽しみです。
続きを、ゆっくりじっくり急いで作って欲しいですねw
つづく。
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