
先日は大迷宮攻略はお休み。
最近はそれに集中していたので、ぽっかりと穴が開いたようなそんな感じ。
仕事疲れもあるので、なんとなくぼーっとしたい気分。
そんな時はフレンドリストを開く。

あしぇさん(りんごちゃん)がグリダニア旧市街にいたので、からかいに行こう。
グリについたら、あしぇさんがるこちーと一緒にいたので、与太話。
やがて、暇をもてあました せとちゃんもやってきたので、4人でPTを組みブロンズレイクへテレポ。

とても不思議な現象を感じることがある。
FF14に限らず、リゾートをイメージしたMAPにみんなで行くと、ちょっとした旅行気分になり楽しい気持ちになるということ。
中の人はいつもと変わらない部屋にいるはずなのに、開放的になる。

温泉につかりながら、チャットで別にどうでもいいような会話を楽しむ。
仮に5年前に友達と温泉に行き楽しかったという記憶があるとする。
それを分解して考えれば、もちろん温泉の心地よさ、その時の匂い、風のあたる感覚なども思い出として残ってはいるが、やはりメインになるのは友達と温泉で楽しい時間を過ごしたというのが最も印象的な思い出であると思う。

5年後、今日の事を思い出したとき、どんな想いになるのだろう?
それはたしかにゲームの世界の話しなわけで、現実ではない。
しかし、個人というものは変わりなくそこにいたわけで、互いの記憶として残っていく。
友達と温泉で楽しい時間を過ごしたという記憶は残っていく。

その後、勢いでモ白白白(うち1名酔っ払い)で弱タイタンに挑んだ。
最初は勝てなくて、ボロボロになったけど回復する白と攻撃する白に分かれたり戦略を練って戦ったら勝てた。
これも楽しかった。
こうして楽しい事をして遊んだ事も、思い出として残るのだろう。

「所詮ゲームの中の話でしょw」
5年後今日楽しかった事を誰かに話したらそう言われるかもしれない。
うん、まーそうなんだけど。
その時その場所にいた人は、本物の人間の友達なんだよね。
コンピューター相手に話しているのではなく、生身の人間と話していたんだよね。
人と人との思い出に、場所というのは重要な位置をしめるのかな?
その時感じた気持ちの方が重要なんじゃないかな?

全人類が、夜眠った時、同じ夢を見てその世界を共有できたとすれば、そこはもうリアルと変わらないはず。
だとすれば、オンラインゲームの世界はそれに近いものがあるのではないだろうか?

現実と仮想の間の世界で、今日も桃の花が揺れている。
エオルゼアの風に舞う花びらを見て「心地よい」と思うこの気持ちは、どう世間に説明すればいいんだろうか。
それを探さなくてはいけない。
つづく。
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