
少し疲れが出てきた。
なんで神話を集めてたんだっけ? なんで強くならないといけないんだったっけ?
今日はなんだか色々考えながらエオルゼアにいた。
今日は本音を書こう。
僕は数ヶ月前からアラガンストーンの神話を集め始めた。
週間で取得数に限界がある神話。集め始めた日から上限まで貯めなかった週は無い。
必死になって集めた。
それには理由がある。
数ヶ月前にレリッククエでハイドラだったかな?それに行ったときに僕は旧AFで行ったんです。
その時はそれが自分の中で一番いい装備だったから。旧時代もずっとこれで過ごしてきたからだ。
「マイディーさん。初心者支援も大変だろうけど自分の装備も整えないとこの先が辛いよ?」

僕はその一言がすごくくやしかったんだと思う。
勿論、言ってくれた人は本当の事を言っているし正しい。
くやしさを感じたのはそのフレに対してではなくこんな風になってしまった自分にかもしれないし、そういう風に流れたエオルゼア自体にだったのかも知れない。
旧時代マイディーさんはずっとこのAFで戦ってきたし、これからもそれでいいんだってどこかで思っていたんだろうな。
最初は嫌いだった黄色い色も好きになってたしねw

その頃の一撃学園のみんなのレベル。
毎日大忙しだった。どんどんとくる入学希望のTel。
IDのお手伝い。4人一組を作る作業。自分が始めた事だし自分を慕ってくれて来てくれた人たちだし、自分がなんとかしないとって思ってて誰かに手伝ってもらおうという発想すらなかった。
とてもじゃないが、自分の事なんてする暇なんか無かった。
そんな折、りりーさんやるがさんが僕をレリッククエに誘ってくれた。

DL装備の存在や、神話装備という新しいAFがあるというのもこの頃知ったんだった。
フレが言ってくれた装備を整えるというのはこれらの装備を手に入れろという事なんだと始めて知った。
そうなんだ。これらの「装備」が無いとこれから先、
この新しいエオルゼアで生きていけないんだ?
その頃から僕は、見た目が旧AFと同じ神話装備を集め始めた。

それは新生エオルゼアを生きるに当たって当然の事だし。自然な流れだったと思う。
きっと何も間違っていない。
「装備を整えないと前に進めない。」
それはいつしか誰も口にしないけど当たり前のエオルゼアの常識になっていった。
今では装備アイテムの平均値をアイテムレベルとして、一定の装備以下の人はコンテンツに挑戦する事もできなくなってしまった。

それからというもの、どこに行くのも神話の計算。哲学の計算。
大迷宮へはアラガン装備を取りに行く。
極蛮神にいどむのは、新しい武器のため、新しいアクセサリーのため。
気がつけば・・・装備をかき集めるだけの毎日になっていた。
僕だけではない。みんなだ。

今日、僕はモンクに必要な最後の神話装備を手に入れた。
自分はモンクしかやらないと決めているので、僕の神話集めはこれで終了だ。
僕の装備は一応整った。
もうこれで神話の上限を気にする必要も無い。開放される。神話集めから。
もう「装備を整えないと」って言われる事も無い。あとはアラガン装備を大迷宮で揃えて・・・・。
ああ・・・これで楽になる。
そう感じた瞬間、途方も無い疲労感に襲われた。眩暈がするほどだった。
みんなが「おめでとう」と言ってくれているのに「ありがとう」と返す事もできず、僕はログアウトした。
良い印象では無かったと思う。申し訳ない。

装備がないと前に進めない事実はそのとおりだとおもう。このエオルゼアでは。
でもそれだけなんだろうか。僕はこんな事をしたかったんだろうか。
こんな事を教えたかったんだろうか。
こんな毎日で本当に楽しいのだろうか。
FCじょびのテーマである、みんなでエオルゼアを生きるというのは、みんなで装備を集めるという事なのか?
うちに集まった人達はそういう事がしたかったのか?
すこしわかった。
毎日感じてた、いくらすくっても両手の指の間からボロボロと何かがこぼれる様な違和感。

この疲れの原因はそんな毎日が楽しいんだと自分に言い聞かせてたからだ。
もっと従来の「じょびらしい楽しさ」があるはずだ。
マスターである僕自身がそれを見失っていた。この世界のルールに飲まれすぎていた。
今日からそれを少しずつ、見つめなおしていこう。
つづく。
- 関連記事